「父の言葉」
石尾節子(滋賀県)
その日は朝から雪でした。南天の赤い実にも梅の枝にも雪は降り積もり、降り止んで、白い夜となりました。
茶の間に置かれた丸火鉢の火種も消えてしまっていました。父は、白いカバーの羽根布団を掛けて臥せっています。気持ち良さそうな顔が嬉しくて、その日も私は父の脚をマッサージしていました。腎臓病のためにやつれてしまった脚も小学四年生の手には太すぎて、すぐに手がだるくなります。もっと辛いのは烈しい睡魔でした。途中から両目を閉じたり開けたりしながらマッサージしました。
父が口を開いて何か言ったようです。弱った声を聴き取るため、いつものように私は父の口元に耳を近づけました。
「何?」……聴き取れません。
(おしっこがしたいのかな?)
私は焦りました。片手で溲瓶を引き寄せておいて何度も聴き返しました。ゆっくりと、ゆっくりと、父は何かを伝えようとしています。羽根布団が大きく上下して、父の苦しさを物語っているように思えました。
(お父さん、急がない用事ならば、もう喋らないで!)
ようやく、私の耳が父の言葉を捕えました。「……もう……いいから……おやすみ」
この言葉を、父は繰り返していたのです。
ふと気づくと、私の目から涙が溢れていました。父の脚をマッサージしながら、私は声を殺して泣いていました。
その二日後、父は帰らぬ人となりました。「父の愛」という、かけがえのない記憶を私の心に遺して…。
茶の間で三年余りも寝たきりだった父。私は父にマッサージくらいしかしてあげられませんでした。子どもとは悲しいものです。
父の顔、声、姿、服装を覚えていることを幸せに思います。父が元気だった頃、毎夕、父と二人で近所の霊丘公園へ散歩に行った思い出があることを嬉しく思います。無数の鯉が泳ぐ大きな池や、夕日が沈む有明海を父と一緒に眺めました。
叶うものならば父に伝えたいのです。
「お父さん、愛をありがとう」と。
